目指すは世界征服ならぬ世界平和じゃ!

自分の幸せ→身近な人の幸せ→世界平和

平和ボケした自覚のない奴隷

最近「悪魔を出し抜け!」を読んでいます。
読み始めたときは、
時々来るネガティブな気持ちにさせる現象も、
悪魔の仕業だったのかと思い、
どうにか自分から悪魔を追い出そうと
思っていましたが、
おとといの夜、気づいたことがありました。

私は今まで書いてきた記事の中で、
ネガティブな感情も認めようとしてきたではないかと。
この世界に存在するすべてには、
必ず相反するものが存在する。
ポジティブとネガティブ。
光と闇。
夏と冬。
朝と夜。
陰と陽。
プラスとマイナス。
悪魔と神…などなど。
相反する二つの存在があるから、
私たちもその中に存在できるのではないかと。
ってことは、
悪魔を認める、何なら感謝してあげる…みたいな(;^ω^)?

悪魔は言っています。
何百万年も前、
まだ人間に理性というものが無かったころは
悪魔だけが人間を支配していた。
しかし悪魔の対抗勢力、すなわち神という存在が、
ポジティブな思考が持つ偉大な力を発見し、
それを人間に植え付けたことで、
悪魔は唯一存在できる人間の意識という居場所を
守る戦いが始まったのだと。

そもそもは、
悪魔に支配されていた我々人間は、
何度も生まれ変わってくるたびに、
いろいろな経験(傷つけたり、傷つけられたり)を
することで理性というものに磨きをかけてきたのだと思います。
それはつまり魂の周りにくっついている汚れを
落としているということですね。

でも、
それでもまだ完全に悪魔の支配下を抜けた人間は、
わずか全体の2%。
特に戦後生まれの私たち日本人は、
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia
によって、
本来の力を封じ込められる教育を受けてきました。

だから、人道的におかしなことをしている
権力のあるものに逆らおうとすることさえしません。
事実を知ろうともしません。
自分で考えようともしません。
思いっきり、流されながら生きている人がほとんどです。

ちなみにこの世界ではトップニュースで扱われた
こちらの事故をテレビで報道されているのを
見たという方はどれくらいいるのでしょうか。
おそらく、日本ではほとんど報道されていません。
news.nicovideo.jp

私は現実を知りたいといろいろ調べているdrakeさんから
毎晩、いろんなことを教わります。
そのほとんどは眉間にしわが寄ってしまうような内容ばかりです。
このままでは本当に日本という国は沈没してしまうんじゃないかと
本気で思ってしまいます。
実際に、北海道長万部町出身の保守派といわれる評論家の
西部 邁さんはつい先日、
入水自殺をされました。
こんな日本に生きていたくないと昨年末の対談で
語られていたので、おそらくそれが原因なのでしょう。
この方のことも、
drakeさんから教えてもらいました。
どんなに頭が良くても、
どんなに世界のことを知っていても、
自分の力の無さを悲観して、
人生において戦うことをあきらめて
自らの命を守ることをしないのは
愚かな行為だと私は思いますが。

悪魔は無知であること、
恐怖を抱くことこそがもっとも破壊的な罪だと言っています。
私も本当につい最近までそうだったからわかるのです。
自分の人生を誰か任せにして(主に政府や世間)、
自分に矛先が向けられると責任逃れをしようとする。
上述したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムにより
そのように教育されてきたのですから、
ある意味、被害者でもあるのですが、
いつまでもこのままでいいのでしょうか。
自覚のない奴隷生活をいつまで続けていくのでしょう。
まさに悪魔につけ入れられる「流される人間」であることを
そろそろ皆が止めて覚醒しなければいけない時ではないかと思う今日この頃です。

では、どのようにして私たちは、
本当の自分というものを取り戻していけばよいのでしょうか。
それは、同じ舞台に立って真正面から立ち向かうものではないと、
私は思っています。
それについてはまた明日以降書かせていただきたいと思います。

悪魔を出し抜け!

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悪魔を出し抜け! (文庫)

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バビロンの大富豪 第三話

バビロンの大富豪を私が初めて知った時、

まずはYouTubeでオーディオブックを探しました。

ただで聴けるのですから本当にありがたい。

でもなぜか、

第三話だけはいろいろ探しても、

見当たりませんでした。

 

「こんなに探しても無いって何で?」

 

そう思えば思うほど、

どんなお話なのか気になって仕方なく、

結局本を購入しました。

さて、第三話にはどのような物語が書かれているのでしょうか。

 

 

まず、冒頭にはこうあります。

 

幸運な人間であったとしても、その幸運の限度を知っている者は誰もいない。

ユーフラテス川に放り込まれたとき、

手に真珠をつかんで浮かび上がってくることがあることをだれが想像できようか。

                       ~バビロニアの諺~

場所は王の宮殿や空中庭園、神々の神殿と並んで

重要とされる学びの神殿。

ここでバビロンで最も裕福とされるアルカドが、

壮年の男たちを中心に

「幸運を引きつける方法」

について話し合っていた。

 

幸運の女神の恩恵を受けた者はと問うと、

誰も手を上げない。

では幸運の女神とはどこにいるのか。

すると「賭博場ではないか?」という声が。

しかし、

アルカドはこう諭した。

「かのありがたき女神が個々の人間の競馬の賭けに、

 いちいち大きな関心を払うと、

 どういうわけで思われるのですかな。

 私にとって、かの女神は愛と高潔の女神で、

 救いを求めている者を助け、

 ふさわしい者には報いを授けることを喜びとされる神です。」

つまり、

幸運の女神が金を稼ぐより

失うことのほうが多い賭博場にいるわけがないと。

幸運の女神は儲けを出すために努力を惜しまない者にこそ微笑むが、

賭博の場合には状況はまったく逆転すると。

 

なぜなら、賭博場というのは、

どう考えたって胴元が儲かる仕組みになっているからです。

でなければ、賭博場というものは成立しませんよね(;^ω^)

でも時に、大金を稼ぐこともあるでしょう。

これこそが、賭博の甘い罠。

ここでいくら儲けようと結局は価値としては長続きしません。

なぜなら、多くの人がそのお金をまた

賭博に使ってしまうからです。

 

これは斎藤一人さんも言っていますが、

宝くじ的なラッキーで大きな財を成し、

立派に成功したという人はいないと。

ギャンブルにお金を使ってしまうのは、

お金を大事に思っていない証拠。

ほぼほぼ負けるとわかっていて、

お金を使うわけですし、

もし一時的に儲けたとしても、

また同じところに置いてきてしまうのですから。

胴元のために尽くす奴隷のようなものですね。

 

またこういった話し合いも持たれました。

「実際に幸運の女神が与えてくれたチャンスをみすみす逃してしまう」

ということに関して。

せっかく訪れたチャンスを目の前に躊躇し、

そのタイミングを逃すと、

あっという間にチャンスはほかの誰かのところに行ってしまう。

 

例えばこんなお話が。

若い時に大きなチャンスを逃し、

息子を育て上げた今も、

まだ成功への道を歩き始めてもいないという父親が、

これは大きなチャンスだから、

収入の十分の一をある事業につぎこめと、

息子に投資話を勧める。

だが、息子はどうしても乗り気になれず、

タイミングを逃す。

するとその事業は、

誰にも想像がつかないほど大きな利益を上げた。

 

もうひとつはこう。

ある家畜の仲買人の話。

ラクダを探す旅に出たものの、

がっかりして街に戻ると、

市の門が閉ざされていた。

しかたなく、

門の前で一晩を明かすことにしたところ、

ひとりの年老いた百姓が、

「最高質の羊をひと群れ買ってほしい」と近づいてきた。

しかし、大きな群れであることは何となくわかるものの、

あたりは真っ暗で、

実際に羊の数を数えることは難しかったため、

翌朝に数えてから金を払うとした。

それでも百姓は急ぐ用があるため、

せめて今のうちに三分の二を支払ってほしいと提案するも

それを受け入れなかった。

すると、翌朝、市の門が開き、

四人の仲買人が飛びでてきて、

あっという間に百姓から羊を買い取ってしまった。

結果的に百姓は最初に提案した金額の三倍のお金を手に入れ、

家畜の仲買人はみすみすチャンスを逃したというお話。

 

正直、人間生きていると、

だまされたり、だまされた話なんかを耳にすることが多く、

美味しい話に乗り切れないということはありますよね。

「うまい話は無いと思え」みたいな教えもありますし。

だけど、失敗してもいいから、

乗ってみるという行動力が必要だということでしょうか。

本にもこうあります。

「良い商談を逃してしまっているその元凶は、

 断固たる決意で迅速に行動することが求められているときに、

 不必要にぐずぐずする習癖にある」と。

 

すべての人にチャンスは訪れる。

しかし、幸運の女神がほほ笑むのは行動する人だけということですね。

 

ちょっと長くなってしまいましたが、

このお話でいろいろ考えてくださる方がいたらいいなと思います。

 

 

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立春に考えさせられたこと

今朝は、朝6時半からの出勤。

ものすごい大雪でした。

毎週日曜日は、

一緒に7時間パートで事務をしている方と交代で

残業するのですが、今日は私がその日。

昼休みにもご飯を食べた後、

25分くらい昼寝をしたのですが、

仕事から帰って、

ご飯を頂いて、

パソコンの前に座って、

ブログを書こうと思いきや、

知らないうちに寝てしまっていて、

危うく、

毎日更新を断念してしまうところでした(;^ω^)

だけど、

ちゃんと間に合うように目を覚ましてくれた

自分に感謝です。

 

今日は、

仕事の帰りに、

次男からLINEが来ているのを確認。

そこには、

「マミー。多分給湯器死んだ」の文字。

食器洗いをしようとしたところ、

瞬間湯沸かし器の火が点かないということ。

まぢかぁ。

「何もこのお水が冷たくなる冬に壊れなくても…」

とも思いましたが、

うちの台所の湯沸かし器は、

もう16年目。

壊れたって文句は言えないくらい頑張ってくれた。

とか考えながら、

頭の片隅には、

「まだどうにかなるんじゃないかな」

って考えている自分もいたりして。

 

うちに帰ってみると、

「これは完全にいっちゃったやつだな」と完全にあきらめモード。

立春のこの日に突然逝ってしまった湯沸かし器。

もうしかたありません。

今日のところは、

なるべく洗い物が出ないように、

鍋焼きうどんにしました。

 

だけど、考えてみれば、

私が子供のころに住んでいた団地の台所は、

お湯を出そうなんて気はさらさらなく、

水道の蛇口はひとつ。

冷たい水で食器を洗ったものです。

便利になったことが当たり前になってしまう。

潜在意識のはたらきについてなどを

勉強していなかったら、

単に「いや~、何で壊れたのさ😢」の一心で

終わってしまうところでした。

こういうものの考え方ができるようになっただけでも

私は幸せ者だなと思いました。

 

起きてしまった物事を一瞬は憂いても悲観し続けない。

受け入れて、「ではどうする?」のほうが建設的ですね。

ネガティブシンキングをゼロにすることはできません。

だけどとらわれ続けるのはもったいない。

この事実に気づけるだけで、

日々の思考の仕方って変わると思いました。

 

 

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