氣づいたら…世界は平和だった!

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

伝えたい氣持ちを受け取る手段を与えるのも愛じゃないのか?

ちょっとものすごく反感を買う記事になることが懸念されます(;´Д`A ```

しかし、これってお金などの豊かさに関してもそうじゃないかなと思うので、

四面楚歌状態になることも覚悟の上で、あえて書かせていただきます。

よろしくお願いいたします。

 

 

まずこの記事を読んだ

こちらのブログを読ませてもらいました。

ameblo.jp

レイキとかヒーリングとかにまったく興味が無い方にもぜひ読んでいただきたい。

問題はヒーリングそのものがどうこうではなく、

あるサービスをお金を頂かずして無料で与えるか、

それともお金を頂いて与えるかというところにあります。

この記事を書かれた方のおっしゃりたいことはよくわかる。

でも氣になったのはものすごく攻撃的な書き方をされているところ。

言っていることはごもっともなのに感情的になりすぎててもったいない氣がした(^▽^;)

 

お金を払うこととは

お金を払う本当の意味をご存知の方はもしかしたら少ないかもしれません。

お金は感謝のエネルギー。

はい、たしかにそうです。

感謝の意を表すのにとても便利なツールなのがお金です。

世の中に出回っているアイテムやサービスには、

無料のもの、リーズナブルなもの、高額なもの…といろいろあります。

同じように見えるものでも名前の認知度が高かったりするだけで

価格が全然違ったりしますね。

しかし見た感じは同じようでも、

使われている素材や手法、関わる人々の手間暇などに大きな違いがあるわけで、

使い続けていくうちに良さの違い、つまり価値の違いを実感するわけです。

なので要するにこの価値の違いは、

提供する側のプライドの違いなのではないかと思いました。

提供する商品やサービスに対しての自信です。

自分が与えるものを信じ、それだけの価値を見出し、

満を持して提供しているんだということの表われ。

私は以前、いろいろ学びたいと思ったときに、

これは素晴らしい!ぜひ学ばせてもらいたい!と思うコンテンツを見つけては、

その料金の高さに何回もひざをつきました(;´Д`A ```

この料金を払えない私には学ぶ資格もないということか…

…と何度も思ったことがあります。

そこで高いお金を払うことの本当の意を教えてくれた方がいました。

それは陰陽師の幸輝先生でした。

学んで得る(入ってくる)ものと同じ分、何かで出さなければならない。

この世界では常にエネルギーが循環しており、

その流れを滞らせることは許されない。

川の流れをせき止めたら決壊します。

血液の流れが滞ったらどうなりますか?

学んで成長したとしてもただ得ただけでは、

どこかからそれ相当のものが出ていくがこの世の摂理。

それをお金にしてしまえば、失わなくてもいいものを失う必要が無くなる。

お金がその役目を果たしてくれるというもの。

お金を払うといいますよね。

文字通り、得たことで出さなければいけないものをお金で払っているわけであり、

厄払いと同じ意味なんです。

 

無料は悪い?

では無料って悪いのでしょうか。

私はそうは思いません。

先に紹介した記事を書かれた方が物申しているのはきっと、

すべてを無料で提供している方のことじゃないかと思うのですが、

無料が悪いというより、

無料にはそれだけのものしかないということになると思うのです。

それはそのモノの価値というより受け取る側の価値観によっても大きく異なります。

たとえばこのブログ記事を読むためには、

千円を支払う必要があるとします。

さらにどうしても読まなければいけなかったとして、

無料で読むのと千円払って読むのとでは、

読み方に違いが生じると思いませんか?

千円分の価値があるってことだ!って思えば、

千円の元を取るつもりで、とりこぼしなくしっかり読み込もうと思いますよね。

でも無料だとさらっと目を通すだけの流し読みでもいいと思うわけです。

別にそこから何かを得ようとも大して思わない。

受け取り方が大きく異なってくるんですよ。

だから本当に良いものだと思うものは無料じゃない方が親切だったりします。

しかし本当に今お金がない状態の人から見れば、

無料は無料でもそのありがたさは比べ物にならないでしょう。

無料は提供する側の価値観より、

受け取る側によって良くも働けば悪くも働くということです。

 

 

 

受け取り下手になっていないか

さ、ここからが批判覚悟のうえの内容になります。

たとえばこのはてなブログのしくみ。

はてなブログにはスター、コメント欄、ブックマークなどで、

その記事を読んだことに対してのレスポンスを返す手段が設けられています。

つまり読み手側の氣持ちを伝える手段です。

しかしそれを利用していていないブログも多々ありますね。

もちろんそれが悪いと批判しているわけではありません。

ただ読み手の氣持ちはどこに持っていけばいいのやら…となることがあるんです。

私だけかな…。

ブックマークをするということはとても氣に入ったので、

他の人々にも読んで欲しいという氣持ちが込められていると思うんですね。

正直、自分にとってはブックマークするほどではなくて、

コメントするまででも無くて…

でもあなたの記事を読ませてもらいましたよっていうのを

スターで示すことができるんじゃないかなと思うんです。

「自分はそういうのいらないからいいじゃない!」って言われるかもしれません。

でも氣持ちを伝える手段が与えられない読み手の氣持ちを

考えられたことはあるのかなってときどき思うわけです。

「スターはいらないからブックマークしてよ」

そんなふうにも思ってしまうんです。

「1円はいらないから100円払って」

そのように聞こえてしまうんです。

レスポンスの手段を設置することは自己満足ではなくて、

読み手側の氣持ちを

しっかり受け取るつもりがありますよっていうことじゃないかと思います。

それも愛じゃないかと思うんです。

伝えたい氣持ちを伝える術が無かったら、

悲しくなりませんか?(´ヮ`;)

露骨に「スターをもらったら返しに行くというのがめんどくさい」というようなことを書かれていた記事もありました。

非常に残念な氣持ちになりました。

スターもコメントもブックマークもつけたくなった人がつけるものであって、

それは興味も無いのにお返しに伺わなければいけないというものでもない。

ちょっと前にははてなブックマークの互助会という言葉を聞いたこともあります。

でもそれじゃ本当の意味でブックマークの機能を果たしませんよね。

スターもコメントもブックマークもひとつの愛のカタチです。

過剰なまでにスターをつけてページの読み込みを遅くする行為も

いかがなものかとは思いますが、

もっと受け取り上手になってもいいんじゃないかなって思うことがあるわけです。

本当はスターは1つでいいんだと思います。

でもつける数によっても氣持ちを表すことができるのもいいところですよね。

 

 

 

あとがき

前項に書いたことはあくまでも私の主観であり、

みんながそうするべきだという主張ではありません。

私自身、読者登録しているからといって、

すべての記事を読んだりはしません。

タイトルで氣になるものを選んで読んでいます。

私はそれでいいと思っています。

必要な情報は入ってくるので、

たとえタイトル的に興味が無かったとしても、

何となく氣になって開くものです。

現についさっきのことですが、

LINE@に登録しているもののふだんは読むことが無いメッセージを

今日はなぜか氣になり読んでみると、

以前に受講したいと思っていた教材が無料で受け取れるという案内でした。

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だからスターやコメントをもらったからと言って、

興味もない記事に行ってお返しをする必要は無いと思うんですね。

でも、あげたい人の氣持ちを受け止める機能を持ち合わせててくれたらな…って、

そんなふうに思うだけです(;^ω^)

目に見えるものも見えないものも受け取るときはしっかり受け取り、

与えるときも喜んで与える。

与えたいのに手を出してくれないのは淋しいものです。

この記事を読んで氣を悪くされた方もいらっしゃること思います。

本当にごめんなさい。

でも悪意はまったくありません。

ほんの小さなものも喜んで受け取れる人とそうでない人のちがい。

今回ははてなブログを例にとりましたが、それに限らずとも、

そこらへんをちょっと考えて見ていただけたらなと思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

明日も一人一人が喜んで受け取れる1日となりますように♡