氣づいたら…世界は平和だった!

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

嫌いな人の幸せこそ祈る

あなたには嫌いな人がいますか?

全然いないという方もいらっしゃるかもしれませんね。

嫌いな人がいないと幸せかもしれません。

でもこれは嫌いな人がいることが悪いということではありません。

何故なら私たちは自分以外の人たちと関わることで、

自分の存在や自分の個性や人間性を知るわけですからね。

良い感情を与えてくれる人とそうじゃない人。

いろいろといます。

良い感情を与えてくれる人は、

波長が合う人なので一緒にいるだけで幸せです。

そして、そうじゃない人の場合、

これは嫌な感情を引き出す人なので、

好きになることはできません。

しかし、この嫌いな人をもしも好きになることができたとしたら、

そんな自分のことをあなたならどう思いますか?

自分ってすごいなって思いません?

 

清水義久先生の無料セミナー動画で聞いた話があります。

どんな化け物にもその内側にはキラキラ輝く光の部分があるのだと。

ではどうして化け物になったのか?

それは満たされないという負の氣持ちがどんどんその光にくっついて、

そのスパイラルから抜けられなくなったから。

たとえば幼少期に親から十分に愛されること無く育ったとか、

仲間外れにされて襲われる孤独感から、

自分を傷つけないように作り上げた殻などで、

どんどん自分の光を遮るような事態になってしまったんだと。

清水先生が収めに行った悪霊の話がそうでした。

悪霊というと退散させるというイメージがありますが、

実はそれは効果的ではないのです。

それは駄々っ子と一緒なんですよね。

満たされなかった感情をひとつひとつ慰め、

外してあげることで少しずつ内側にある光に近づいていくのです。

清水先生が初めて対面した時には、

それはそれは恐ろしい姿かたちをしていた化け物が、

少しずつ化けの皮を剥がしていき、

最終的には神職者がするような恰好にまでなり、

成仏していったそうです。

 

 

 

さらにはこのセミナー動画では、

ヒーリングを伝授してもらえるのですが、

その練習として「嫌いな人をヒーリングしましょう」という場面があります。

正直なところ、

嫌いな人ならヒーリングなんてしてあげたくないもんです(笑)

しかし、好きな人も嫌いな人も、

自分と関わる人はすべて自分自身を映し出した鏡。

嫌いな人というのは自分の中にある嫌いな部分を

単に見せてくれているだけの人。

ではこの人は自分自身なのだから、

ヒーリングしたほうがいいわけですね。

しかし最近は私は聞くことは無くなりましたが、

その昔には呪いという行いがありました。

これまでの話をふり返れば、

これは自分自身を呪っているのと等しいということが、

お判りいただけると思います。

つまりブーメランのように、

必ずしっぺ返しが来るわけですね。

 

生きていればいろんな人と出会うし、

いろんな困難にもぶつかります。

しかしその人に乗り越えられない試練は与えられない、

つまりそれを乗り越えられる力があるということなので、

実力の証明にもなるということです。

簡単な問題は解けて当たり前。

でも難題であればあるほど、

解けたときの喜びは大きいものです。

しかしいきなり困難にぶち当たってすぐに、

これはどのようにとらえればいいのだろうとか、

ここから何を学べというのだろうとかにはなりません(笑)

それは熱い鉄板に触れてしまったのに、

いつまでも手を離さないのと一緒で、

まずは手を離さなくては大やけどを負うわけです(;^ω^)

まずは手を離す、つまり距離を置く、拒絶するということです。

見て氣分の悪いものをあえて見るのは賢い行動ではありません。

時にはそれに喜びを覚えるような人もいるようですが。

でもかと言って、

そのあとに熱い鉄板を責めたところで何も始まりませんよね。

その鉄板に触れてしまった自分の方に原因があるわけですから。

まずは距離を置いて熱い!って一言でも二言でも何回でも思いましょう。

 

これは紙(神)に書き出すのが最良の方法です。

そしてそこに書き出された言葉は、

ずっと日の目を見たかった自分自身の一部なのだと客観視します。

存在するのに認めてもらえなかった邪悪な部分とかですね。

これである程度氣が済んだなら、

その紙はビリビリに破いて、

浄化の意味を込めて燃やしてしまい、

感謝しながらその炎を見つめます。

これだけでもかなり心は落ち着いていきます。

全部燃え尽きて残った灰はきれいに水に流します。

排泄物を流してくれる働きをするトイレに流すといいでしょう。

どんな嫌なことも火と水が浄化をしてくれるわけです。

そして最後には、

この浄化を手伝ってくれた(きっかけになってくれた)相手に感謝します。

この時点でもまだ感謝できないのであれば、

紙に書き出し足りないだけなので氣が済むまでやりましょう。

こんなこと書くまでもないとは思いますが、

火を使う時は細心の注意を払ってくださいね。

万が一の時のために水を置くとか…。

それで火事になりましたとか言われても、

一切の責任は負いかねますのでご了承ください。

あくまでも自己責任でお願いします。

ちなみに似たようなもので塩まじないというものを見つけたので、

リンクを貼っておきますね。

ima.goo.ne.jp

手放したいものを手放すのに良いそうですよ。

 

 

 

さて心がスッキリしたら、

このときにこそ、このことが、

何を私に氣づけというメッセージなのかを考えてみます。

感情的になっているときにいろいろ考えたところで、

残念ながら、ろくなことはひらめきません(^▽^;)

相手と同じ土俵に乗ってしまうことになりますからね。

ここでは相手に勝つ必要などありません。

相手に勝つことには何の意味も無いのです。

ちょっと考えてみたらわかりますよね?

何とか相手をやっつけてやろうと思っている自分の姿を

客観的に想像してみたら…とても恥ずかしいです。

エイブラハム瞑想でもこのように言われています。

誰かが怒って皆さんに食って掛かってきたり、

乱暴なことをしたりするとき、

相手が戦っているのは、

皆さんではなく自分自身です

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ただ、それでもしつこいこともあるかもしれません。

でも、それは自分の中に、

まだまだ吐き出さなきゃいけないことがあるというだけのことなので、

それが無くなるまでただただ続けるだけです。

それで相手に感謝できるところまで行ったら、

私の魂の浄化に力を貸していただきありがとうございました

…となるわけです。

 

相手には、

自分の魂の浄化のためにイヤな役どころを演じてもらったわけですからね。

イエスキリストは十字架に磔(はりつけ)になって処刑されるときに、

処刑する人たちの魂の嘆きを見たと言います。

心の底から嫌われるような役をやりたい魂など無いのです。

ほとんどの人たちがこの仕組みをすっかり忘れて、

それぞれの役どころを熱演しているだけなんですね。

相手に見せる自分の言動だってそうです。

だから反省はしても必要以上に自分を責めることはありません。

お互いにお互いの魂の成長のために、

それぞれの役どころを果たしたに過ぎないわけですから。

このようにして相手と自分の魂の働きをねぎらって、

さらに相手の幸せを祈る所まで行けたら理想的です。

相手は自分の一部なわけですから、

相手の幸せを祈ることは自分の幸せを祈ることに繋がるのです。

むしろ直接、自分の幸せを祈るよりもとても効果的なわけです。

 

ではどうやって祈るのか…。

あの世は完全に想念の世界。

この世はそうではないのではなくて、

物質というものがあるので、

想念だけではないということです。

想像できないものは創造できないわけですから。

なので相手が幸せそうに笑っているところを

自分の内面で想念しましょう。

嫌いな人の幸せこそ祈れる自分になったら、

きっと今よりもっと自分のことが好きになれるはずです。

すべてはうまくいっている過程のうちに過ぎません。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

明日もすべての人々の心が平和でありますように♡