氣づいたら…世界は平和だった!

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

心配と心配りのちがい

これまでの記事で心配とは迷惑行為だと書いたことがあります。

自分の中で最も印象深いのはこの記事👇 

www.charlotte102-blog.net

親が子供を心配しないなんて、

罪なことなんじゃないかという思い込みを持っている方は、

少なくないのではないでしょうか?

 

でも「心配」という言葉を調べてみると、

その意味としては、

「氣になって思いわずらうこと」

「氣になって心を悩ますこと」とありました。

思いわずらったり悩んだりしている様子に、

幸せという言葉は結びつきにくく、

意味合いとしてはネガティブな印象を受けます。

しかしこの「心配」という文字に「り」をつけるだけで、

途端に印象がポジティブに変わります。

温かい氣持ちや愛を感じますよね。

意味としても「心遣い」「配慮」とあります。

さらに「り」がつくことで、

「しん」と読む心は「こころ」と読みが変わり、

「ぱい」と読む配は「くば」と変わります。

音の響きまで大きく変化します。

 

 

 

これをカタカムナの思念表から読み解いてみようと思ったのですが、

これは私にはなかなか難しい( ̄▽ ̄;)

でも一応書いてみます。

~心配の場合~

「し」示し・現象・死

「ん」直前の文字を強調する「大きな」「強い」など

「ぱ」勢いよく引き合う

「い」伝わるもの・陰

~心配りの場合~

「こ」転がり入る・転がり出る

「こ」同じ文字が続く場合は連続して起きていることを表す

「ろ」空間

「く」引き寄る

「ば」内側(もしくは反対側)に引き合う

「り」離れる

とあります。

これをあなたならどう解釈しますか?

実際の意味合いと統合して考えてみます。

心配は最初に死という文字があるので、

何となく暗いイメージが強く勢いよく集まってきて、

見えないところで伝わっていく波動であり、

心配りはいろんな感情が連続して出入りする空間に

引き寄せるもの引き合うものを離す。

この離れるには信頼して離すという意味があるように思えます。

私なりに受ける印象なので、

人によって読み解き方が異なるかもしれませんが(^▽^;)

 

つづいてペンデュラムを使って、

その言葉が持つ振動数を測定してみました。

何回かやってみて多少の誤差はあるものの、

「心配り」は800台、

「心配」は200台という結果になりました。

ちなみに「愛」は936でした。

やっぱり「心配り」の方がハートフルな感じですよね。

細かい数値は多少異なるかもしれませんが、

心配りの方が波動が高いのは間違いなく、

発する波動が高ければ、

相手にも高い波動が伝わるということになります。

 

それでは実際される側の立場に立って考えてみましょう。

「あなたのことが心配で心配で…」と言われた場合、

あなたならどう思うでしょうか?

「ありがとう」と思える人もいるでしょうが、

「いや、大丈夫だから!」と、

つい反論したくなる人もいるのではないでしょうか。

一方、心配りの場合、

口に出す言葉って何でしょうか?

私のボキャブラリーには見当たりません(;^ω^)

温かく見守り、ここぞという時だけサポートするような、

そんなイメージじゃないですか?

つまり、ここには信頼の度合いが隠れているんですよね。

心配は「大丈夫じゃない」という不信感の表れであり、

心配りは基本的に「大丈夫」だと思ってるけど、

いざという時のために備えておくよ的な基本は信頼ベースで

発せられているものといった感じがします。

自分がされるんなら、

不信感を持たれるより、

大丈夫と思われていたいですよね。

 

 

 

そしてこれは何も相手ありきのことではありません。

自分のことを自分がどう思っているかにも大きくかかわってきます。

自分のことを信用できていなければ、

先々のことを不安視して心配します。

でもどうなっても何とかなるさという、

自分に対して信頼できていれば、

楽観視することができるわけです。

楽観視して大変な目に遭うかも知れないし、

実際にそんな人を見てきたということもあるかもしれません。

しかし、それこそが思い込みになるように現れた、

あなたの中の真我(もしくはハイヤーセルフ)があえて出してきた、

仕掛けなのです。

 

たとえばですが、

私たち人間はほとんどが周りの人を見て、

自分も同様だろうと考えがちになります。

もしも、

誰一人老化していない世界だったらどうでしょう。

自分も老化しないだろうと思いませんか?

年齢を重ねると、

目が見えづらくなり、

白髪やしわが増え、

動作が遅くなるものだという思い込みは、

周りから与えられているものであり、

実際にこの思い込みが小さい人は、

いくつになっても若々しく生きておられます。

だから自分をどんな環境に置くかって、

ものすごく大事なことなんですよね。

つまり、言ってしまえば、

楽観視して大失敗した人がいたとしても、

自分は大丈夫だという思い込みが強ければ、

そうはならないということなのです。

そしてもし、なったとしても、

それは自分の魂の経験として必要だから起きることであり、

それに対して困ってしまうのは、

エゴの自分なだけなんですよね。

その局面だけ見れば、

辛くて痛いことかもしれないけれど、

少し時間が経てば解釈の仕方によって、

あれがあったからこそに変えていけるわけです。

もちろん反対にエゴだけで解釈していると、

それはトラウマとして残りますが、

要は解釈次第でどうにでもなるということです。

 

話は大きく逸れましたが、

要は自分に対して不信感を持っていれば、

いろいろ心配になるということであり、

もう心配するのはイヤだと思うのであれば、

どんな自分でも大丈夫だという、

信頼に変えていけばいいということです。

それができたらどれだけ楽だろう、

そんなことはしたくてもできないと思う方、

とことん自分に暗示をかけてください。

そもそもその不信感ですら、

自分がかけた暗示なのですから。

今すぐに言ってみましょう。

「私は大丈夫」

「私は私を愛している」

「私は私を信じている」

でもなんでも自分に自信がつく言葉を

いっぱい言ってあげてください。

鏡で自分の目を見て言ったり、

右耳をタップしながら言うと尚効果的だそうです。

右耳は左脳に繋がっているので、

論理的にキャッチしやすいらしいです。

だから聞き流してしまいたいような、

グチなんかは左耳を意識して聞くといいかもしれませんね(笑)

 

あなたの人生も、

私の人生も、

これからの日本も世界も、

すべてはうまくいっています。

たとえ今はそうは見えなかったとしても、

すべてはうまくいくために必要な、

ひとつのプロセスに過ぎません。

自分自身を信頼して生きましょう。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

明日もすべての人々の心が平和でありますように♡