氣づいたら…世界は平和だった!

氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

義理人情マインドからの脱却

義理人情:日本固有の生活規範

…とあります。

生活規範?

規範とは「~べきである」という掟(おきて)的なもの。

これが人としての美徳であると、

まさにそうあるべきと自分に言い聞かせながら

生きてきた大人たちは少なくないと思います。

つまり縛られてきた。

誰かに何かをしてもらった。

ありがとうとは思うけど、

素直に喜べない人も、

もしかしたらこの考え方に基づいているかもしれません。

ってか、はい、

私自身がそうでした( ̄▽ ̄;)

 

何かをしてもらったら、

何かしらの形で返さなくてはいけない。

お返しをしなくてはいけない。

結婚したら、子供が生まれたら、

入学したら、卒業したら………と、

人生の中であらゆる節目があるたびに、

お祝いとして金銭や物品を受け取る場合があります。

しかし多くはそのだいたい半額くらいのもので、

お返しをするというのが、

おおよその日本の慣習となっているのではないでしょうか。

私が以前いた職場では、

誰かが結婚した時にお返しとして、

タオルか何かを受け取ったおばちゃんが、

「こんなものじゃなくて商品券で返すものじゃない?」と、

言っていたのを20年近く経った今でも覚えています。

これは、もはやお返しを期待してお祝いをあげているから、

自分が期待していなかったものとなると陰で文句を言う。

ここに本当に「おめでとう」と、

心から祝う氣持ちがあるとは思えません(;´Д`A ```

私自身もそれから数年後、

同僚が結婚した時にお祝いを包んだのですが、

何一つお返しが無かったことに驚いたことがあります。

何か受け取ったらお返しをするのが当然であり、

「私だってお返しするの大変だったけどしたのに!」

という考え方や思いが私の中にも深く根付いていたからだと思います。

そんな思考がさらに「何かしてもらったらお返し」という、

生活規範を私の中で強化したのも間違いありません。

 

 

 

たとえばこのはてなブログにおいても同様のことが言えます。

スターをつける、

コメントを残す、

ブックマークを付けるという形で、

「あなたの記事を読みましたよ」という足跡を残す機能があります。

これ自体は読んだ側の率直な意見や感想を表すものとして、

素晴らしい機能だと思います。

しかし、ここにも義理人情の義理の部分が見え隠れしているのも確か。

あまり詳しくは知りませんが、

実際にそれで揉めたり、

問題になっている事例があるようです。

かくいう私も、

ブログを始めたころは少しでも自身のブログへの認識を深めるために、

いろんな方々のブログに足跡をつける作業にいそしんでおりました。

しかしもともとたくさんの文字を目の前にすると、

ゲンナリしてしまう性質の私には、

なかなかハードな作業でもありました。

YouTubeの動画でも、

ただ文字がエンドロールのように流れていくタイプが苦手で、

興味があることでも萎えちゃったりするのです(^▽^;)

だからある時からその作業に時間を割くことをやめました。

 

恩を義理で返さない選択をしたことで、

読者登録が減ったり、

これまで来てくれていた方が来なくなったりとかは、

もちろんあります。

しかしその方々も義理で来られていたからだということに過ぎず、

大して興味があるわけでもないのに、

行かなくてはいけないという作業が減ったのですから、

これはお互いにWIN-WINなはずです。

その一方で私が足跡を残さなくなっても、

来ていただける方々に対しては、

本当にありがたく感謝の氣持ちでいっぱいであり、

私の記事を義理抜きで読んでいただけているんだなと、

心から嬉しく思う次第です。

本当にありがとうございます(⋈◍>◡<◍)。✧♡

もちろん、いろんな方々のブログをまわるのは、

無理をしているのではなくて、

本当に自分の楽しみなのであればそれに越したことは無いわけで、

あくまでも無理をして行っているということを疑問に思うに過ぎません。

はてなブログを一例にあげましたが、

もちろんこれはそれに尽きるものではなく、

もらったら返すという縛りから脱却することが

本来の自分らしく生きるということに繋がるのではないかと思うわけです。

 

 

 

「でもその考え方って人としてどうなの?」

「そこに愛はあるのかい?」と思われる方もいることでしょう。

でもよくよく考えてみてほしいと思うわけです。

私たちの魂はもともと愛と喜びと感謝に満ちた存在なのです。

このような表現は宗教的に捉えられるかもしれませんが、

決してそうではありません。

現に私はどこぞの宗教の信者ではありませんし、

それによって何かに勧誘するという勧誘先もありませんし、

さらにそれによって金品を請求するということもありませんので、

ここはひとつ安心して読み進めていただきたいと思うのですが、

そんな話は信じられないという方でも、

感動ストーリーに涙した、

スポーツ観戦していて感動した、

子供の成長に喜び、感動したなどなどの経験はおありでしょう。

もしくは大好きなことをしている時に感じられる喜び、

リラックスしている瞬間など、

これこそが本来の私たちの姿…つまり真我(ハイヤーセルフ)を

実感している時なのです。

その真我の意識とエゴとも言われる、

自我(個である自分)の意識を持って、

私たちは人間として生きています。

普段、感じている意識というのは自我の部分です。

この真我と自我の距離が近づけば、

人は愛と喜びと感謝を感じます。

もちろん反対に距離が離れてしまうと、

とたんに孤独感や無価値感、罪悪感などに苛まれ、

不幸な氣がしてくるものなのです。

 

今目の前にあるものひとつひとつに対して、

どのような感情を持っていますか?

特に何も感じない人は多いと思います。

それはそれがそこにあることが当たり前になっているからですね。

ひとつひとつに感謝してみてくださいと言われても、

すぐにはピンと来ないものだと思います。

しかし目の前にあるスマホやパソコンひとつ取っても、

一本の指であっても、

もしそれが無かったら…と考えてみてください。

それが無かったら困るな、

不便だなと感じられたら、

今ここにあってくれることに感謝できませんか?

私たちはもともと感謝でいっぱいの存在なのです。

だからこれが無くなる、

尽きるということは無いのです。

ただそこからの距離が近いか遠いかだけのことなんですね。

そもそもの私たちが愛の存在なのですから、

あえて義理や人情という言葉に縛られることは無い。

お祝いをあげないと人から冷たい人だと思われるんじゃないだろうか?

お返しをしないと陰口を言われるんじゃないだろうか?

これは愛からは遠い所にある恐れの波動ですね。

恐れを作り出しているひとつに、

「こうあるべき」という鎖で縛っている思考があります。

これも道徳という体のいいひとつの洗脳でしょう。

 

 

 

最近私はamazonプライムビデオで「キングダム」という、

春秋戦国時代の中国を描いたアニメを観ているのですが、

このシーズン2の9話でこの記事を書くに至る氣づきを得ました。

キングダム 8 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 8 (ヤングジャンプコミックス)

 

それは紫夏(この👆表紙の女性)をはじめとする闇商人たちが繰り広げる、

他国に人質としてとらえられていた、

子供時代の政という後の秦の始皇帝の救出劇。

どうして紫夏は他国の王族である政を助けるに至ったのか。

それは紫夏の子供時代にありました。

戦争孤児だった紫夏を命がけで助けた義理の父。

その父は恩返しをする間もなく亡くなってしまうのですが、

その時に紫夏が義父に

「受けた恩に対してまだ何も返せていない」と言うも、

義父はこう返します。

「恩恵はすべて次の者へ」

義父自身も幾人かの命によって救われてきたのです。

そしてその恩を余すことなく紫夏たちに注いできた。

「紫夏、お前がこの先他人のために何かできたら、

 それは私にとっても大きな意味を持つ。

 どんなに些細なものでも受けた恩恵を次の者へ…」

という言葉を残してこの世を去ります。

そうやって人は繋がっていくのだと教えられた紫夏は、

自分の命と引き換えに政を守り抜いたのです。

自我という個の意識から離れて、

真我(すべてはひとつである)という意識に近づくだけで、

人はいつでも幸福感を得ることができます。

もしこの紫夏をはじめとする政を守り抜いた人たちが、

自我の意識でいっぱいだったら、

政の救出はあり得ないことだったでしょう。

真我(すべてはひとつである)という集合意識に繋がっていたからこそ、

できた偉業にちがいありません。

つまり「あの人がしてくれたからあの人に返す」というのは、

必ずしもそうではないし、

「あの人にしてあげたのだからあの人にしてもらうべき」というのも、

まったくお門違いな考え方だということです。

私たちは分離して見えますが、

手指と同じで元はひとつのところで繋がっているのです。

だから義理人情というマインドは、

もう手放してもいいのです。

私たち一人一人が、

自分自身を愛し、

それによって満たされていくことで、

あふれ出た愛を周りに与えることに繋がっていくのですから。

自分らしく生きることこそが、

これからの時代の生き方なのではないでしょうか?

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

明日もすべての人々の心が平和でありますように♡