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氣づきプレゼンターみきっぺのブログ♪

言霊学「成りませる神の名は」が指し示すものとは①~アセンションしたい人向け~

古事記を言霊学で読み解くと

これはただの神話ではなく

古代から現代の日本人に宛てられた

メッセージだということがよくわかります。

 

古事記の最初は

このように始まります。

 

天地の初発(あめつちのはじめ)の時、

高天の原(たかまのはら)に

成りませる神の名は、

天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)。

次に高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)。

次に神産巣日の神(かみむすびのかみ)。

この三柱(みはしら)の神は

独神(ひとりがみ)に成りまして、

身を隠したまひき。

 

 

今回は「成りませる神の名は」の

「成る」の部分に焦点を当てていきます。

それ以前の「天地の初発」と

「高天の原」については

こちらの記事をご参照ください。

www.charlotte102-blog.net

 

www.charlotte102-blog.net

 

成りませるということは

そこに生まれた・現れたという

ニュアンスで捉えられると思います。

 

「なる」を変換しますと

成る・鳴る・生る・熟る

…などと出てきます。

 

いずれも何かしらの結果を

表していることに

お氣づきでしょうか?

 

プラスとマイナスの

バランスが取れている

ゼロのポイント。

しかしある瞬間に

そのバランスが崩れ

無から有が生まれました。

 

この有とは

プラスとマイナスの均衡が

崩れた結果だと

言えるのではないでしょうか?

 

物質の起源というものが

いつから始まったのかということは

その物質を調べることで

大方の判断ができると思いますが

私たちが確実に感じて自覚している

この心というものが

いつどこで

どういう経緯で始まったのか

…ということを知ろうと思うと

途方もなく果てしないことのように

感じるのは私だけではないと思います。

 

私たち人が自分の心というものを

生まれてきて初めて自覚することを

「物心がつく」と言います。

 

しかし物心がつく前には

心は無かったのでしょうか?

 

自分の物心がつく前というのは

とても思い出せるものではありませんが

人の親となり育児経験がある方や

未だ物心がつく前の

幼少期の子供と関わるような

お仕事をされている方は

その頃の子たちに心が無いとは

思われないのではないでしょうか。

 

確かにあるのにその心をまだ

自覚できていない意識。

これは無意識と言われる潜在意識に

通じるものを感じます。

 

無意識…つまりエゴがまだ

確立していない状況で

数年を過ごした後に

物心がつき

エゴの意識というものが

芽を出していきます。

 

私たちが生きている世界には

目に見えるマクロの世界と

容易には目に見えないミクロの世界

そしてさらには完全に

目で見ることはできない世界

…というものが存在します。

 

そしてミクロがマクロに

マクロがミクロにと

お互いに干渉しあっているのも

また事実ですね。

 

Aを構成する最小の要素

というものがあって

それらが集まって

Aを作り出します。

 

それらの要素と全く異質のBが

できるということは無く

またAが受けた衝撃が

Aを構成する最小の要素に

影響しないわけがないということです。

 

ということは

私たちの目には見えないけれど

でも確かにある世界も

同様であると考えるのが

自然なことではないでしょうか。

 

空氣を読むということが

実際にありますよね?

目には見えないけれど

確かに感じる空気。

 

目に見えない世界が

明らかに干渉していることが

改めてわかります。

 

話を元に戻します。

物心がつく前のこの心。

これはその心の持ち主が

まだそれを自覚していない

つまり見えていない段階。

持ち主には見えていないけど

他者からは認識されているわけですから

確実にあるということです。

 

この無自覚という経緯を経て

ある時突然に自覚が生まれる。

つまり「なる」わけです。

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「な」はローマ字にすると

NとAという子音と母音に分けられます。

 

Nというのは

物事を把握するために

煮詰めるといった働きを担っています。

 

そして母音であるAと言えば

心を感じている自分自身

…という意味を持ちます。

 

この子音と母音のかけ合わせで

「な」という音ができるわけで

まだ自覚の無い自分自身というものが

ある程度の経緯を経て煮詰まったもの

…と捉えることができると思います。

 

では「る」の方はどうでしょうか。

「る」を分解するとRとUになりますね。

 

Rという子音には

螺旋状に展開する様が表されています。

思考や行動がある程度の時間をかけて

出た一つの結果であり

それによる新たな展開が生まれる様子です。

 

Uという母音は

世界が始まる最初の音であり

生きようとするための働き一切を

担っています。

生命活動を維持するための「欲」に

大きく基づくところです。

 

このRとUのかけ合わせでできた「る」は

展開して新たに生まれたものと

捉えることができますよね。

 

そうすると「なる」は

無自覚だった意識が

ある程度の段階を経た後に

自覚に変わって

新たな展開を起こす様子を

表しているということになります。

 

これは何も意識だけの問題ではなく

「鳴る」も何かを叩いたり弾いたり

すり合わせたりする結果に

生じる音であったり

「生る」や「熟る」が

植物が実をつけて

熟れていく様子であったりする

ある過程が展開した後の

一つの結果ということになります。

 

ここまで「天地の初発」

「高天の原」と続き

「成りませる神の名は」の

「成る」についてと

記事を書いてきましたが

この3つの様子というのは

段階的に起きたのではなく

プラスとマイナスの均衡が崩れた瞬間に

同時多発的に起こった「時」であり

「空間」であったり

それを感じる「意識」なのだという理解に

私の中で落ち着いてきました。

 

皆さんはどのように感じられますか?

何かわからない点や

自分はこう思う!などあれば

どんなに小さなことでも

コメント欄やTwitterのDM

またお問合せフォームから

ぜひご連絡ください。

一緒に学んでいきましょう。

 

次回は今回の記事では

その考察に及ばなかった

「神の名は」について

書いてみたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただき

ありがとうございました(^▽^)♡

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